鹿児島移住者姶良市民のりょうです。
戦国ゲームの金字塔「信長の野望」。プレイ中、気づいた人も多いかもしれない。
“鉄砲”という武器の登場が、日本の戦い方を一変させたってこと。
では、その鉄砲を最初に受け取った武将が誰か、知ってますか?
実はその人物、歴史ファンでも名前くらいしか知らないかもしれない。
その名は――種子島時尭(ときたか)。
鹿児島県・種子島の13代領主として生まれた彼は、たまたま漂着した外国船から、後の戦国時代を変える“火を噴く棒”を受け取る。そして、瞬時にその可能性を見抜いた男でもある。
🌊鉄砲伝来は、漂着から始まった
時は天文12年(1543年)8月25日。
南九州の離島・種子島の南端「門倉岬」に、ある船が流れ着いた。
それは中国から来たジャンク船(木造の大型船)で、台風にあい、漂流の末にたどり着いたという。
この船には、倭寇の頭目・王直(おうちょく)とともに、3人のポルトガル人が乗っていた。
そして、彼らが持ち込んだのが――鉄砲だった。
🔫驚きと決断、そして技術継承
種子島の若き領主・種子島時尭(当時16歳)は、その鉄の武器を目の当たりにする。
「大きな爆音とともに火を吹き、鉛の玉で的を撃ち抜く…」
と記録に残るこの鉄砲。
時尭はその可能性に驚愕し、すぐに金2千両(現代価値で約2億円)という大金を支払い、買い取る。
さらに島内の刀鍛冶・八坂金兵衛に複製製造を、家臣・篠川小四郎に火薬の調合を命じた。
そして彼らは苦労の末、見事に複製と火薬の再現に成功する。
ここで時尭がすごいのは、その技術を独占しなかったこと。
後に紀州・根来の僧や堺の商人に対しても惜しみなくその技術を伝え、鉄砲は一気に全国に拡がった。
⚔️鉄砲が変えた戦国
その後、鉄砲は急速に戦国の戦場に登場する。
- 1555年(弘治元年):武田信玄が第2次川中島の戦いで使用し、上杉謙信を驚かせる。
- 1575年(天正3年):織田信長が長篠の戦いで大量の鉄砲を用い、武田軍を撃破。
これらは全て、時尭が技術を広めたことがあってこそ。
鉄砲が日本の戦法・築城法・戦略を大きく変えるきっかけとなったのだ。
🧑🎓時尭という人物とその死
時尭は、1528年に生まれ、父・種子島恵時、母は薩摩・島津忠興の娘。
娘はあの「鬼島津」こと島津義弘の正室となり、時尭の血は島津家にも流れている。
晩年は戦の表舞台には立たず、種子島の領主として地元を治め、1579年(天正7年)10月2日、52歳で病没。
その功績を讃え、現在、旧榕城中学校の入口には時尭の銅像が立っている。

📷写真出典:「かごしまナビ」より
✍️あとがき〜「信長の野望」からたどり着いた本当の“野望”〜
「信長の野望」で鉄砲を量産したとき、「これすごいな」と思った人、いるはず。
でも、その背景にはたった一人の若き領主――時尭の“咄嗟の決断”があった。
鉄砲が伝来してなかったら、信長も信玄も、まったく違う戦い方をしていたかもしれない。
そしてその始まりが、台風と偶然、そして“見抜く目”を持った種子島の青年によって生まれたという事実。
歴史って、ほんと面白い。
📝記事内引用
写真出典:「かごしまナビ」公式サイトより
参考文献:『鉄炮記』南浦文之、地域史資料ほか



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