島津斉彬という偉人の話

〜鹿児島が生んだ先見の名君〜
最近、ふと手に取った島津斉彬(しまづ なりあきら)の伝記。読み進めるうちに、その先見性と行動力に圧倒された。こんな人物が幕末の鹿児島にいたのか…と思うと、今の鹿児島の風土や誇りの源にも少し近づけた気がする。
斉彬は、薩摩藩の第11代藩主で、藩主としてはわずか7年(1851〜1858年)しか務めていないんだけど、その間にやったことがものすごい。
ざっくり言うと、
「日本が西洋の植民地にならないためには、こっちも西洋の技術や知識を学んで強くならないと!」
って本気で考えてた人。
南から攻められる? 地理もちゃんと見てた藩主
当時、海外から日本に来るルートは、中国大陸南部→琉球(沖縄)→奄美→南九州という島伝いの航路が主流だった。
そんななか、鹿児島の地理的な重要性をしっかり意識していたのが斉彬。
だからこそ、国防と産業の近代化に力を入れ始めたんだと思う。
やったことがスゴい。斉彬の近代化プロジェクト
特に印象的だったのは、以下のような取り組み:
- 紡績の技術を導入
- 鉱山を開発
- 大砲の鋳造を目的とした製鉄事業
- 洋式軍艦・蒸気船をつくる造船事業
- 砲台整備と砲術訓練の改革
貿易も視野に入れてたっていうから、時代の先を見てたのがよくわかる。
仙巌園に残る斉彬の気配
実際に、仙巌園駅前の島津別邸を訪れたときは「ここから全部始まったんだ…」って感慨深かった。
鹿児島観光の際には、歴史の息吹を感じられるスポットとしてオススメ!
志を継いだのは、西郷や大久保たち
1858年、斉彬は病気で亡くなってしまったけど、
彼が目指していた開国と近代化の考え方は、西郷隆盛や大久保利通たちにしっかり引き継がれていった。
それがやがて、明治維新という形で実を結ぶことになる。
まとめ:斉彬がいなかったら、今の日本はなかったかも?
「斉彬がいなかったら、今の日本はどうなってたんだろう?」
そんなふうに思わせてくれるくらい、影響力の大きな人物。
鹿児島のことを知れば知るほど、斉彬の存在感はどんどん大きくなっていく。


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